9ページ目 | 2013欧州バイク旅3

8日目:ロマネコンティ

リヨン→ルクセンブルク(ルクセンブルク)・537km・晴時々雨・15~20℃

昨晩、あれから街をちょっと歩いていたようだが、あまり覚えていない。
人っ子一人いない街の夜景が数枚撮られていた。
ヘトヘトながらホテルには直帰できなかったのだろう、しかし、何も無く帰ったのだろう。

リヨンも綺麗な街だ、天気も良く、こういう出発は非常に気分がいい。
朝食のドーナツが食いきれず、その残りを近くにいた子供連れに差し上げた。
とても喜んでくれた対応で、こちらとしても気分よく走り出せる。


さて、昨日からの3日間は実質帰路であり、特段の目的地も無いルートの予定であったが、
この旅への出発前日、ある話からとんでもない使命に気づき、今日それを果たしに行く。

実は、昨年の夏、ウチは洪水に会い、思いかけず皆から義援金をもらった。
でも、床下浸水で実害は無く、保険屋からの見舞金も出たので、
次回、年に一回の旅行の時には、お返しに高級ワインを提供させてもうう旨、皆に宣言してたのだ。

その旅行が来月にあり、それを思い出して、何か買ってきます旨、伝えたところ、
「そら、ブルゴーニュやろ。ピノノワールや、DRCや!」と意味不明な話になった次第で、
なんとも偶然に、帰路の途上にそこがあったのが不思議である。

"DOMAINE DE LA ROMANEE-CONTI"いわゆるロマネコンティ。。
年に数千本しか作られず、稀少価値のある高級ワイン。。
さて、それは現地に行けば、思いのほか安く手に入ったり、なんて甘い期待を抱きつつ。。


昼前頃、その最寄り街である、ボーヌに到着。
この街はどうも様子が違う。インターから街中への道中にレストランとホテルが並んでいる。
どう考えても、ヨーロッパ中からわざわざこの街にワインを飲みに来ている。
昨日のリヨン以上に食通の本場であることを察するに足りる。

ただ、ここに来るまで、実はロマネコンティは存在しなかった。
各地各地に御当地ワインがある訳だから、無いのが当然、尋ねるのも失礼な程度だ。
そして、この街に入っても、無い、無い、無いの繰り返し。。
要は売り出される前に全て予約済みで、即世界の金持ちのワインセラーに入ってしまうとのことなのだ。

途方に暮れる。。次の街へ行こうか、あるいは都会を探すか。。
と、ダメ元で立ち寄った先に、それは存在した。
ボンジュールとご機嫌よく尋ねろとのガイドブックに従い、その旨を伝えると、
机の下からファイルが出され、その中の一頁にそれは並んでいた。

車が買える値から、安くても原チャリが買える値まで。。
当然、それらは豊富にある訳でなく、若干の品に在庫が1あるか2ある程度で、選択の余地は少ない。。
しかし、これはなんとも決断が付かない。。原チャリかぁ~とやや怯む。。
一度、店を出て、他に望みを試すが、あの店しか持ってないことが確認できた。


相場は知らないが、きっとこの食通客の多い本場なら、ふっかけられて当然と考えるのが筋。。
更に、どの店も持ってなく、ウチのを分けてあげようかという程度なら尚更、、
しかも、今は円安ユーロ高。でも、免税で20%は戻ってくる。。
いかんいかん!そんな話じゃない。これは男気の問題で、これが無いと旅は成立しない。

というわけで、弱い男気は一番安い原チャリ、DRC ECHEZEAUX 2009を買う。それで満足!
地下から持ってこられたボトルはなるほどやや冷たい程度。
ネットオークションで安く売ってようが、これはずっと地元で育った本場のフランス少年だ。
場所に届けるんじゃない、人に届けるんだ!クロネコはここでも活躍してた。


やや胃が痛くなった感じがする。。食欲もさほど。。
しかし、とりあえず座ってゆっくりしたく、めちゃうまいから、無理して食う。

なによりもホッとした。あとは、コケず割らずに帰るだけ。
街を出て、ワイン街道を進む。


程なく、ロマネ村、、苦労させやがって。。
この小さな村の、この小さいコンティ畑が車の値のワインを生む。
そして、俺のエシェゾー畑はこの地図のちょい下に位置する。。


しかしなんというか、特にワインマニアであった訳でもないのに、
永らく来たかった場所に着いた感覚に似ているというか。。ま、思い出の村に入るだろう。
そう多くは無いが、それでも次から次へと、人が訪れ、この畑の写真を撮っていく。

この畑の土の匂いを感じながら、あれを飲むのか、、
じゃ、このタンポポも価値高いな。。
アニアへのお土産はこれが最適なんじゃないか?なんせネットで売ってないですから。。



無事ビックイベントを完了し、その後は雨。。その中を一路、最終国であるルクセンブルクを目指す。
ただ、何故か地球の歩き方ヨーロッパ編には頁が無く、このへんまで来ればこちらも予習はしていない。
仕方がないので、セントラルへの標識に従って、中心街へ向かうのみだ。

中心駅近くに、レストランやホテルの多い地域を見付け、
それでもベストな確信がやや持てなかったので、通りがかりの身なりのいい人に聞いてみると、、
ここは危険だ、夜はドラッグに暴力に、どこでも駅近は同じだよ、向こうへ行ったほうがいい。


という訳で、向こうへやってきたら、何かで見たことのある景色。
確かにここがルクセンブルクだわ、間違いなく日本人はこちらに泊まるべきなんだろう。
ところが、こちら側はホテルが少なく、空いてたのはこの風景を見下ろす高級ホテルのみ。。
今日一番安い部屋は?と聞いて、俺のバイク姿を見てか、駅の方に行けと言われ、プチッ!

おい、お前はホンマに4つ星ホテルか?俺はここに泊まりたいとゆーとるんじゃボケ!
おまけに外の公共ガレージに止めさせ、間違った値でカードきりやがって、俺は疲れとるんじゃ!
と散々文句を言ったからか、、部屋はあの風景を見下ろす結構大したものだった。。


街中はどちらかというと静かで、もしかすると駅近の方が刺激的だったかもしれない。
ここはステーキ屋かと思うほどの匂いの立ち込める店で出されたのは舌ビラメだった。
悪くはないが、かなり油がきつい。今日はビールだけにしておこう。。


はぁ、こりゃだいぶ自分自身、疲れが溜まってるな。。
ホテルには色々と言ってしまった手前、客としてお金を使ってあげよう。
ミニバーのウィスキーを飲もうと、氷を頼んだが、これがまたマゴマゴしよってからに。。
やっぱ、ここはダメだわ。。


 

海外バイク旅のウンチク(その8)

 この旅の1か月後、例の年に一回の旅行があり、宴会後の部屋飲みで、いよいよあの酒を開ける。
 通曰く、2009は良い年、本当はもう少し寝かせたいところ。とのことだったが、ここで皆で飲もうぞ。
 普通なら、裏に輸入業者のシールが張られているが、これは直なので無いとのことらしい。


 
 通が、まずは匂いを見て、OK大丈夫。船便輸入などで結構悪くなっているのも多いらしい。
 通は、マイグラス持参での飲み会だ。それをクルクルクルクルさせながら、咲(ひら)かせていく。それを部屋のグラスに注いだものと比べさせ、確かに全然匂いが違う。。
 そして口に含み、口の温度と同じになるまで待つ。未だ飲んではいけない。飲み終われば、口の中がややヒリリとして、、と講義が続く。。
 
 自分はわかってるのかどうなのか、皆もどうなのか分からないが、それでも皆うまいと感心し、楽しく飲めている。何より、これだけ話が終わらないのは、実に価値がある。
 次からは皆、順々に高級ワイン持参や!俺はもう終わったけど。。という案がすんなり可決される程度に楽しめた。
 ちなみに、ある程度予想はしていたが、これはいくらぐらいですかね?と聞くと、、やはり俺は高値で買ったみたいだ。
 でも、これはこれでしかなく、この結果をもってすれば、十分に価値があると感じれる。
 なにより、このおかげでルートが決まり、アンドラも兎のレバーも経験できた。そういう意味ではDRCという無理難題を提示してくれた通御大には感謝しきりだ。
 
 人生の楽しさ、人の価値、そんなたいそうなものじゃないにしても、それは友人の多さだ言われるし、そう思う。
 この連中、あの連中、どれにしても、アホしようが、言い合いしようが、そういう繋がりがあることが何よりの価値であり、感謝でもある。
 バイクの一人旅、それはそんなことをわざわざ考えに行かせるものでもあって、ツレは裏切ってはいけないものであり、大切にしなければならないものだ。
 何より、こんな高級ワインを一人で飲んでうまいだろうか、、ソムリエと話しながら、彼女と話しながら、それもよかろうが、ツレと分け合って飲むとよりその価値は実現されるように思う。
 それが今回のお土産探し事件の結論である。